弘法大師いわく、
「夫れ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。
 真如外に非ず。身を捨てて何んか求めん。
 迷悟我に在れば、発心すれば即ち至る。
 明暗、他に非(あら)ざれば、信修すれば、忽ちに証す。
 哀れなるかな、哀れなるかな、長眠の子。
 苦しいかな、痛いかな、狂酔の人。
 痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。」
以下、意訳
仏法は自分の中にあり、とても近いものだ。
この体を捨てていったいどこに真理を求めようとするのか。
迷いも悟りも自分の中にあるのだから、発心さえすれば必ず悟りにたどりつける。
智恵の光も煩悩の闇も、自分の中にしかないのだから、それさえ分かれば、
結局、目を開けて見るか、目を開けて見ないかで決まってくる。
哀れなことだ、哀れなことだ、煩悩の闇に浸っている人は。
苦しいことだ、痛ましいことだ、煩悩の快感に酔いしれている人は。
酔っぱらい-煩悩にひどくとらわれている人は、
酔わない人-迷いの世界の快感に酔っていない人-を笑うし、
眠りこけているもの-闇夜に浸っているもの-は、
目が覚めているもの-煩悩のとらわれから解き放たれているもの-を笑うようなものだ。