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メキシコ 五日目。
この日は、
セノーテと
チェチェンイッツァの遺跡巡り
激安ツアーに参加しました。
私の勘違いか
もしくは、
ツアー受付のおじさんの
勘違いか
はたまた、最初から
この聖地巡礼で
私のガイドが決めていたのか
このツアーで巡るセノーテは
イク・キルセノーテではなく
マヤのセノーテという場所で
マヤの人々が儀式に使っていたという
神聖なるセノーテでした。
早朝からプラザで
簡単な朝食をとり
大型バスでいざセノーテへ。
ツアーガイドのマルコさんは
マヤ人のお友達がいるので
かなり詳しいお話をしてくれました。
メキシコ人は
すごく早口なのと英語なので
全て聞き取れていないのですが
だいたい、導入部分は
13の月の暦で言っているのと
重なります。
マヤ人は大変優れた暦の知識
天体の知識があったということなど話をしてくれました。
スペイン人の侵略によって
その地を逃れるのですが
重要なところとして
マヤ人はどこに行ったのか?
ですが、
私が知っている説だと
沖縄の与那国島へ逃げたというもの。
彼の場合ば
中国のモンゴルに行ったのではないか?というものでした。
確かに、マヤ人の顔立ちは
モンゴルに近いです。
あと、苗字が一語が多いみたいです。
例えば、チェックなどです。
中国の方々の苗字も確かに
そうですね。
例えば、チィーなどです。
かなり高度な天体の知識があったのですから
そのまま何処かへと伝わっていたり
逃げた土地の文化に溶け込んでいるのではないでしょうか?
もしかしたら、
中国の風水や
九星気学なども
天体を元にしているので
由来があるかもしれませんね。
さて、セノーテへ到着し
歩くこと2〜3分。
井戸のような形で
ぽっかりと穴が空いている場所があり
その近くにかなり急な階段を
下に降りて行くと
そこは鍾乳洞で
ホールのようなかなり広い空間が。
下にはエメラルドブルーの湖のようなセノーテが広がり
先はどの井戸の様な穴が
このセノーテをスポットライトのように
照らしています。
まるで異空間です!
ここはマヤ人の儀式のための
聖なる神殿のようです。
このセノーテでは
マヤの民族衣装を来た
マヤ人のスタッフが出迎えてくれます。
あたり一面に
儀式用のお香が焚かれて
とてもよい香りです^ ^
光の当たるあたりに
ステージの様に張り出しがあり
冷たい水に足を浸しながら歩いて
みると
神聖なエネルギーが漂っていました^ ^
ここは、一年の中で様々な
祝いのために作られた
場所なのでしょう。
鍾乳洞で囲まれた空間は
母なる子宮で
下にたたえた水は羊水です。
上から差し込む光は
産道を抜ける時
この世に誕生する時に訪れる
目覚めの瞬間です。
光は闇を照らし
生命の泉からは
愛に溢れたエネルギーを
感じました。
マルコさんは
マヤ人の誕生日の概念も
現在の私たちとは違う事も
話していました。
52年が日本でいう還暦であるとか
13の月の暦でいう
銀河の著名のキンナンバーも
誕生日になります。
きっとこのセノーテは
誕生日のための儀式をしていたのでしょうね^_^
さて、このセノーテを後にし
入り口あたりに人がいて
まだ集合の時間ではなかったので
あたりを散策していると
孔雀が何羽か放し飼いになっていて
とても可愛かったです^_^
トーテムアニマルでは
なんというメッセージでしょうか?
聖なるセノーテで
再誕生し
孔雀は成長や変化の兆しなのでしょうか?
詳しくはまた調べて見る事にします。
さて、
入り口から裏手に
雌鳥?七面鳥でしょうか?
可愛い雛を連れて歩いている檻が見え
あたりを歩いて見る事に。
標識には、セノーテの文字があります。
なぜか誰一人そのセノーテに気づく人がいないのですが
気にせず
一人でフラフラと歩いてみることにしました。
螺旋階段のように
地下に続く道があります。
途中まで行って
冷たい空気が漂い
なぜか別世界への道のように感じて
行く手を阻み
引き返してしまいました…(ーー;)
とりあえず、
上からこのセノーテを
覗いみようと思い
上からみてみると
なんとも黒く底しれぬ水をたたえたセノーテが広がっていました。
死の沼…。
直感的にそう感じました。
誕生のためのセノーテがあれば
必ず、滅びつまり
死のためのセノーテもあるはずです。
マヤ人の概念では
死は終わりでなく
また違う次元へ行くための出来事で
喜んで死を迎えたそうです。
闇はまた光を吸収し
深く広がる水は
すべてのエネルギーを吸収します。
ブラックホールという存在も
おそらくマヤ人の概念にあったのでしょうね。
別の次元へ行くためのゲートが
そのセノーテにはあったのだと
思いました。
セノーテを回っていると
もう一人おじさんが歩いていたので
何か訪ねようとしたのですが
何処かへいってしまいました(ーー;)
もしかしたら
あちらの住人かもしれないですね^_^;
ふと考えると
このセノーテに来た意味がわかりました。
私が恐れているもの
それは死に対する恐怖なのですね。
あの死のセノーテへ導いてくれた
ガイドの言いたいこと
それは死の恐怖なのです。
人は誰でも死を恐怖に思いますが
私の場合、
その気持ちが強かったのでしょうね。
ある時期、人の死に直面することが
多かったのですが
死の弔いという意味について
考える事に
関係していたのかも
しれませんね。
FOLの中でドランヴァロさんは
エジプトで真っ暗闇の中を
抜けていく通過儀礼の場所へ
いったと書いていますが
まさに、ここがその場所ですね。
私が逃げてたのは
この死の通過儀礼の儀式を恐れ
大好きなグランセノーテへと
逃げて来たのです。
恐れを捨てること
けして簡単な事では
ないのですが
私へのメッセージなのですね。
さて、
マヤ人のお土産ショップを周り
お昼を挟みます。
マヤ人のダンサーさんが
踊りを披露してくれました^_^
とても可愛かったです^_^
さて、
いざチェチェンイッツァへ。
セノーテの好転反応か
もうかなり疲れがあり
ぐったりしてしまったのですが
遺跡の中をめぐると
また元気が出てきました。
ツアーだとすべてを回れないので
私のガイドが回るところを案内するというので
一人歩き始めました。
入り口からしばらく歩くと
壮大なエスカルティージョが!
巨大なピラミッドが
そこにありました。
なぜか
昔から知っているという気持ちが高まりました。
昔は素晴らしい彩りで
カラフルな場所だったのに
今は石のその姿です。
昔を思う気持ちがこみ上げて来ました。
遺跡の中では
たくさんの土産物屋が軒を並べ
ジャガーや鷲
鳥たちのさえずりの様な
笛の音が飛び交います。
そう、昔もたくさんの動物たちがジャングルにいて
素晴らしい美しい響きで溢れていたのです。
それぞれの神殿へ挨拶をし
聖なるセノーテのエネルギーを
ククルカンのエスカルティージョに送りました。
私のキン
白い倍音の魔法使いを使い
その音の波動に同調し
永遠の輝きを与えました。
エスカルティージョの側面から
パンっと手を叩くと
反響で音が響くのですが
エスカルティージョの近くで聴くとキュンっと鳴くのです。
エスカルティージョは
生きている
息吹をそのまま称えている
生命体、いのちそのものだと感じました。
宇宙、そのものだという事も
感じました。
蛇の形をかたどった
エスカルティージョの階段の下に立つと
まるで宇宙からの壮大なエネルギーが
流れて来ます!
かつてはジャングルに覆われ
美しい彩りの中
素晴らしい響きに溢れた
楽園だったのです。
神殿から水が流れていた事も
ガイドが教えてくれました。
美しい彩りの神殿から
水が煌きながら一面を満たし
人々の心や
動物達の憩いの場となっていたことでしょう。
宇宙は神そのものです。
ククルカンは
龍神であり
神は
また宇宙そのものです。
たくさんのトーテムアニマル達
神の遣い達がそのジャングルに住まう楽園にとって
マヤの人々はその一部だったのです。
星から送られてくるメッセージをとらえ
今も昔もそこには愛が溢れているのです。
そして、感じたのが
今、地球上にあるすべての宗教が
ここにある事を感じました。
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、ヒンズー教、
仏教、神道、儒教…
始まりはすべての一つだったのです。
ふと、
2012年以降の事について
感じました。
マルコさんは
マヤの人にも
2012年以降の予言について
わからないと言っていて
太陽のフレアの事や
超新星爆発があるというのは
彼らも言っているらしいとの事でしたが
私が感じたのは
いわゆる、宗教の統合が起きるのでは?と感じました。
それは全く新しいものではなく
古くからあるものが
滅びそして始まるだけなのではないでしょうか?
キリスト教がこの地球に始まった事もまた意味があり
この2012年を境に
機転にするのでしょう。
すべての終わりと始まり。
滅びばけして終わりではなく
始まりの兆しなのです。
この日はかなりの距離の移動と
浄化と好転反応で
ぐったりと疲れ
ホテルですぐに横になりました^_^;
さて、
ようやく最後の日取り。
イスラムへーレスという島へ行きます。