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ザ・ライト -エクソシストの真実- 観ました^^
いや〜傑作!
私は感動して泣いてしまいましたが・・・
たぶん、けして泣ける映画ではありません・・・あしからず。
さて
あらすじは
アメリカ人神学生マイケル(コリン・オドナヒュー)は、
恩師の勧めでバチカンのエクソシスト養成講座を受け始める。
やがて彼は、異端だが一流のエクソシストと称される
ルーカス神父(アンソニー・ホプキンス)の悪魔ばらいを手伝うことに。
ある少女の儀式に立ち会うも悪魔の存在を疑うマイケルだったが、
そんな思いを完全に打ち砕くような出来事の数々に遭遇する。
とまあ、青年マイケルのエクソシスト修行とその成長を描いた
由緒正しい「エクソシスト」ドキュメンタリ映画というところ。
私としては
釘とか出てこなければ
うちのサロンでやってることと
あんまり変わんないなーという印象^^;
ゴキブリとか
ほんとにでるんですよ〜ぅ!!!
明らかに他とは違う出方するんですぅ。
身体から黒煙が出て行くとか
まあ、そういうのありですから・・・^^;
除霊、浄霊、あたりをやっているヒーラーさんなら
わかるー!!!という感想では・・・。
さて
私はこの映画で
ミカエル会長から
お前も大変だろうけど
頑張れよ!!!
といわれたようで
映画の途中で涙涙・・・でした。
なにせ
主人公 マイケル・コヴァック
監督監督 ミカエル・ハフストローム
脚本 マイケル・ペトローニ
とミカさんオールスターズ^^
オフィスミカエルの社員全員見たまえよ!
ということでしょうか。
ところで
キリスト教の死生観
悪魔とは何か?
精神病との違いなど
ちょっとした知識がないと楽しめないかもしれません。
以下
教会の葬儀 その考え方と実際
 人の死についての聖書の教え
●聖書の教えでは、人は天地創造の主である神によって造られた被造物です。
●人は本来、神に喜ばれる祝福された者でしたが、やがて人は罪を持つ者となり、生まれながらに持つ罪(原罪)のため、神から見放された状態になっているというのが聖書的な人間観です。
●この罪のため、人は悲惨な生活を送り、死に、死後も永遠の苦しみの状態に入れられる定めになっています。
 罪からの救い
●イエス・キリストは、人の罪を救うために、神から遣わされた、(神が、人としてこの世に来てくださった)、お方です。
●聖書に書いてあるとおり、キリストの救いの業を信じ、キリストを自分の「主」として受入れることにより、その人は罪を赦されて、本来の祝福された状態に戻ることが約束されています。
●具体的に、教会で、キリストを信じて洗礼を受け、教会員となった者は、キリスト者(クリスチャン)と呼ばれ、神の祝福の下に戻った者とみなされています。
 死の時の祝福と終末の希望
●キリスト者は、死の時、その魂は完全に清められて直ちに神の元に帰り、しばしの間、安息の時を送ります。体はちりに戻りますが、なお終わりの日のために備えられています。
●世界には終末があるというのが聖書の教えです。
その日には、死者は復活して、キリストよる最後の審判がなされます。キリスト者はすべての罪を赦され、新しい体が与えられ、もはや悲しみも苦しみもない、神に祝福された新しい世界に永遠に生きるのです。
  死者を葬るとは・・・
●教会の葬儀の目的は、上に記したとおりです。
●死者は、神や仏になるのではなく、礼拝の対象ではありません。また、この世をさまよったりするものでもありませんから、死後の成仏や、冥福を祈るというようなことはしせん。ただ、主である神に一切を委ねて、神にのみ礼拝を捧げればよいのです。
●しかし、残された遺族の悲しみは残ります。心からの慰めとともに、神の恵み深い約束の中に希望と励ましを見出すのです。
     クリスチャンでない人の葬儀は?
●生前に、教会員ではなかった人の葬儀も、教会で行うことができます。
●聖書の教えでは、人がキリストを信じて救われるのは、生きている時だけであって、死後はその機会がないとされています。
●しかし、人が救いを受けるのは、神の一方的なご意思であって、私たちが判断することがらではありません。
●私たちが知らなくても、神のご意思によって、何らかの手段で、キリストの救いの中に入れられている場合もあるでしょう。
●ただ、私たちの目に見える形のキリスト者ではありませんから、死の時も「召天」という言葉は使いませんし、キリスト者の祝福を受けた者としての言及はいたしませんが、一切を神のお取り扱いにお委ねして、葬りの儀式をするのです。
●そのほかは、神への礼拝、遺体の鄭重な葬り、遺族への慰めは変わることはありません。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~matudo/funeral.htm
キリスト教葬儀 より転載
映画前半で
交通事故にあう女性が登場しますが
マイケルに祈り請うシーンがあります。
「私はこのまま死にたくない。神父さま、祈りを・・・。」
マイケルは戸惑いながら
彼女に祈りを捧げるのですが
私はこのシーンに衝撃を覚えました。
キリスト教では
人は罪を赦されて、本来の祝福された状態に戻ることが必要で
死は肉体の消滅なのです。
死人がこの世にさまよったり
成仏するということはありません。
日本人にはなかなかなじめない部分です。
この映画の全シーンを通じて
マイケルが神を信じることが出来ないという部分が
クローズアップされます。
ということは
悪魔の存在も信じなかったわけで
信仰なしには
エクソシストにも神父になることも出来ないということなのです。
ルーカス神父が
悪魔に憑かれた少女を救うことが出来ず
「希望」を失ったとき
神への信仰心も失ってしまうのですが
その瞬間に悪魔に憑かれてしまいます。
マイケルは
最後に
ルーカス神父に憑いた悪魔と戦うわけですがそこが見所です。
マイケルが小さいころ
お母さんが自殺してしまい
そこから信仰心をなくしてしまいます。
悪魔はそういうところをついてくるわけですよね。
君だって神はいないって思っただろ?
あのとき、憎らしかったんじゃないか?
自分は無力だっただろー?
そんなこと言われたら
誰だって
「はい、その通りです・・・。」
といってしまうでしょう。
こういうところをついてくるのが
悪魔、つまり闇ですよねー^^;
誰だって心の闇を持っていて
そのとき無力で
自分が取るに足らない存在だと知るんです。
だからって
自分が存在しちゃいけない理由にならないということです。
悪魔は死んでしまえば楽になるよーとも誘うわけです。
死んで楽になるわけないです。
楽になれたら、最初からこの世も必要ないですから。
そして
悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ
すべてのネガティブエネルギーを誘うわけですよね。
それらのエネルギーは
すべてを崩壊してしまうのを
悪魔は知っているんです。
希望を失い、
そして、生きるエネルギーも失うんですねー。
やつらの思うツボです^^;
マイケルの相棒として
アンジェリーナという女性がいて
まあ、つまり”天使”なのですが
「あなたは一人じゃない!」
というわけです。
お母さんが亡くなる前に
マイケルに
「あなたは一人じゃない」とカードに書いて
天使のカードを渡してくれるんです。
その瞬間
マイケルはシンクロを感じ
神、天使の存在を確信し
信仰心に目覚めるんです。
結局
悪魔に打ち勝ち
マイケルは神父としての道をとります。
そう、
マイケルが信じたもの
それはまさしく
「自分自身を信じる」
というものだったに違いありません。
みなさま、機会あればぜひみてくださいね^^