チベットのマンダラ
「オーム・マニ・ペメ・フム」とは
仏の身体を象徴して「空」の明光の様子を表現していること、
男性性、女性性の統合、創造と喜びの意味を内包していること、
一語一語が色光を持ち、六道に対応して業を浄化する力があるとのこと。
「神秘主義の原点に迫る超マンダラ論」
「チベットはマンダラの宝庫」第2章の抜粋を転記以下
チベットの文化圏には、道々の路肩に「オーム・マニ・ペメ・フーム」と
書き込んだマニ石を見かけることができる。
チベットの村々に入る路上の至る所に置かてれる。
これは、観音を字音化した6文字の真言といわれている
種子マントラ(ビージャ・マントラ)だ。
チベットの人々はマニ車を回しながら一日唱えつづける
マントラがそれである。
「チェンラジー(観音)」のマントラ(真言)といい、魔よけになる。
また、仏の身体を象徴し、「空」の明光の様子を表現している。
すなわち、「オーム! 蓮華のなかにまします宝珠! フーム!」という意味を持つ。
さて、この真言だが、神仏の明光の形状を象徴している。
“蓮華と宝珠”がそれである。
さて、次にオームとは、ブラフマンを表す字音(マントラ)で、[AUM]とつづられる。
ヒンズーイズムでは、Aがヴィシュヌ、Uがシヴァ、Mがブラフマンで3音融合して、
三体結合を示し、すなわち、創造、維持、破壊を一音に含む。
インドの古典、マンドウヤ・ウパニシャッドでは、オームは過去、
現在、未来を通して存在する時間、空間を越えた無限の存在であり、
オームこそすべてとされる字音なのだという。
また、オームはプラーナの流れを呼び込むパワーがあるとされる。
オームは聖音とされ、「空域」に入る不思議な力があるとされる。
この幻妙な音声波動はトノスコープという音声波動を識別する機器で測定すると
画面に完全な円がスコープに表れる。
チベットの僧侶たちは、始め低音で唸るように始め、声明はやがて不思議な倍音を何重にも発する。
どこまでも高い倍音がうねりのように揺らぎ途切れることがない。
不思議な音域があたりを包み込む。
同時に自らを円なる光の当体とする作用があるばかりか、
その振動音は、どこまでも貫くような響きをなし、それは、マンダラの発する響きに合一する。
マンダラは振動し、右に左に、羽音をたてながら猛烈に回転している。
マニ車はその回転の象徴しているかのようだ。
過去、「AUM」はそれだけで大哲学となっている。
あなたは、すべての大乗経典(法華経等)の冒頭は、オームから始まっていることを知っているだろうか?
(日本では”おん”となっている)
日本は阿字をもって全体的真実を示すという「阿字即法界」説がこれである。
阿は、このAUMの当て字である。
「阿字即一切」という阿字こそ、すべてのものの根源であるということで「オーム」であることに疑問はない。
阿のサンスクリット文字がマンダラの中尊になる。インドの哲学ヴェーダでは「
アーカーシャ(空)である空間にプラーナ(気)が働きかけて宇宙が誕生した。
そして、AUMこそプラーナの根源だ」と説いている。 
古代インド人は、AUMのことをプラーナの根源という意味で「プラナヴァ」と呼んでいた。
原初の振動音「AUM」の響きは根源的な真言(マントラ)であり、
宇宙はすべてが、「AUM」の振動によって開始したとされる。
原子集団は宇宙に光速度で散らばり、さまざまな振動に変化していった。
が、すべては光速の振動の現れであり、今もその現れであり、
未来もまた、その原初の振動の現れである。
すべての原子はひとつの原初の爆発から生まれ、いまも共振している。
「オーム、蓮華のなかにまします宝珠」・・・の6文字マントラは、
チベットで「マニ」と通称されている。
「オン・マ・ニ・ペ・メ・フン」の六字真言の、
「オン」=「オーム」は「空」にあってマンダラ(原初)を示す。
そもそも、マニぺメが観音を指し現わし、マニで如意宝珠を、ぺメで蓮華を意味する。
さらに、マニで男根を、ペメで女陰を意味をもち、
ブラフマンがアートマン(シャクティ)と結合して世界が生まれたという創造の真理と、
アーナンダ(大楽)の意味も含まれている不思議なマントラである。
また、これらの文字、ひとつひとつが各々、色光を有している。
また、六道と対応していて、流転再生の業を浄化する功徳があるとされる。
チベット人は誰であれ、観音を無類の本尊として尊崇し、その真言である「マニ」を唱える。
昔から、「マニパ」と呼ばれる行者がたくさんおり、昼夜を問わずマニを唱える。
チベット人にとってマニを唱えることは、ごはんを食べることと同じといっていいほどである。
オン 白 天界
マ  青 阿修羅界
ニ  黄 人間界
ペ  緑 畜生界
メ  赤 餓鬼界
フン 灰 地獄界
このマントラは「AUM」の原初の振動と「蓮華と宝珠」という2つの要素でもって、
ほんとうはマンダラを表しているだろう。
そこで、マンダラが魔よけに使われるのはこういったわけで、聖なる領域を内包する作用がある。
現在でもマンダラを地面に米粒などで描くことが慣習的に行なわれているインドでは
土壇がそもそもマンダラという原語であった。
据えマンダラは、日本では大壇などの修法壇に変化している。
日本の密教寺院の修法壇はマンダラの聖域をつくる法具で、マンダラの形状を実によく整えている。
驚くべきことに、修法壇にはかならず蓮華と宝珠が添えられている。 
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