さまざな出来事がある中で
ふと思うこと
それは、「なぜ恐怖というものがあるのか?」
戦争がなくならないこと
人が人を傷つけあうことで
どんな良い結果があるのだろうか?
平和とは何だろうか?
そんなことをふと考えていました。
今から20年前、阪神淡路大震災が起き
そして、地下鉄サリン事件が起きたとき
日本はそれこそバブル崩壊後の混とんとしていた時代で
たくさんの犠牲者が出て
世の中は何があってもおかしくないほどに
状況にあることを感じていました。
バブル崩壊、震災やテロ事件から
癒しという
目に見えないもの
精神的なもの、スピリチュアルなものにも目が向けられました。
物質社会の崩壊で、精神性の向上があったのです。
70年前は広島と長崎に原爆が投下され
今から4年ほど前にはまた未曽有の震災が起きました。
日本は、人とのつながり、絆というものが
どんなに大切なのかを知りました。
こんな風に
日本はあらゆる恐怖のどん底に突き落とされ
そして、めまぐるしく復活しています。
迫りくる恐怖の中で
私たちはいつも変化を受け入れているのです。
さて
恐怖はどうしてこのように
突然訪れるのだろう?と考えると
「恐怖というのは”目覚めさせる”ためにある」という答えがありました。
強い恐れの前には
人はこの困難をどうにかして乗り越えようとするものです。
たくさんの知恵を絞り
そして、その状況を変えるために自らを変えようと働きます。
逆にいえば
恐怖は起爆剤のようなものであり
それによって
人は目覚めるのかもしれませんね。
もう一つ
私は恐怖の真逆にある「愛」も
目覚めの手段であると思っています。
愛による目覚めは
誰かを愛することで
心が解き放たれ、すべてのチャンネルが開いていきます。
愛は
恐怖以上に目覚めさせ
導き、答えを自ら知り
そして、羽ばたくことができるものだと思います。
しかしながら
平和という言葉は
とても難しいです。
戦争がないことでは平和といえないし
どんな状態が平和なのかというと
答えに困ります。
平和とは、『平で穏やかな様子』『バランスがとれた状態』『波風が立たないこと』
『人間にとって都合の良い環境』などの意味で使われている単語であるそうです。
もしかしたら
国が戦争中であっても
心が穏やかで
健やかに過ごせるように
自ら努力していればその人は「平和」と思うのかもしれませんね。
心の置き場所をぜひ
自分軸で持つことというのは
大切なのかもしれませんね。
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