弘法大師いわく、
「夫れ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。
真如外に非ず。身を捨てて何んか求めん。
迷悟我に在れば、発心すれば即ち至る。
明暗、他に非(あら)ざれば、信修すれば、忽ちに証す。
哀れなるかな、哀れなるかな、長眠の子。
苦しいかな、痛いかな、狂酔の人。
痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲る。」
以下、意訳
仏法は自分の中にあり、とても近いものだ。
この体を捨てていったいどこに真理を求めようとするのか。
迷いも悟りも自分の中にあるのだから、発心さえすれば必ず悟りにたどりつける。
智恵の光も煩悩の闇も、自分の中にしかないのだから、それさえ分かれば、
結局、目を開けて見るか、目を開けて見ないかで決まってくる。
哀れなことだ、哀れなことだ、煩悩の闇に浸っている人は。
苦しいことだ、痛ましいことだ、煩悩の快感に酔いしれている人は。
酔っぱらい-煩悩にひどくとらわれている人は、
酔わない人-迷いの世界の快感に酔っていない人-を笑うし、
眠りこけているもの-闇夜に浸っているもの-は、
目が覚めているもの-煩悩のとらわれから解き放たれているもの-を笑うようなものだ。
真善美
素晴らしいお名前ですね。
私の名前は偶然にも真庭美穂子といいます。
真庭と美穂子を繋ぐもの
真と美の間にあるもの
それは善だと勝手に思ってしまいました(笑)
常に善い心がけをしなければいけないですね。
私は8年前から弘法大師が日本に伝えた密教占星術を学び、
毎週教会でイエス様に平和を祈り、
毎月ヒマラヤ聖者の元でヨガの瞑想を学び、
11月より密教系のお寺でアーユルヴェーダを学ぶ事になりました。
なんでこんな事になってしまったのか
自分でもよくわかりません。
ただ8年前、正確に言えば2007年11月に
私は出産後に重度の精神病を患い、
あまりの罪深さに地獄の業火で身を焼かれる幻覚に
苦しみました。
父は四国遍路で苦行をし、
母はキリスト教の教えを胸に、
命をかけて私の心と体を繋いで守ってくれました。
そして今があり、
今、真善美様と繋がる事ができました。
ご縁があるかもしれません。
よろしくお願い致します。
>真庭美穂子 さま
コメントありがとうございます。
弘法大師さま
イエス様
ヒマラヤ
アーユルヴェーダと・・・
どちらも
私にとってとても興味深いです・・・。
ちょうど今月の中旬にお遍路を
させていただく機会がありましたのも
きっと何かのご縁ですね^^
>真庭と美穂子を繋ぐもの
真と美の間にあるもの
それは善だと勝手に思ってしまいました(笑)
常に善い心がけをしなければいけないですね。
私の真善美という名前との
不思議で素敵なシンクロでご縁を感じます^^
今後ともよろしくお願いいたします。