歌手、藤圭子さんがマンションより転落死という
大変衝撃的なニュースがありました。
以下、転記開始
22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子(本名・阿部純子)さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。
 マンション13階の一室に藤さんの知人の30代男性が住んでおり、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことなどから、同署は藤さんが男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。遺書などは見つかっていないという。
 同署によると、通行人がマンションから女性が転落したのに気付き、110番通報。藤さんの元夫が藤さんと確認した。同署員が知人男性宅を訪れたとき、男性は1人で寝ており、藤さんがいなくなったことに気付かなかったという。
 藤さんは歌手の宇多田ヒカル(30)の母親で、昭和44年に歌手デビュー。45年に「圭子の夢は夜ひらく」がヒットし、NHKの紅白歌合戦にも出演した。54年に渡米した後はほとんど表舞台に姿を見せなかった。(産経新聞)
以上、転記終了
http://www.sanspo.com/geino/news/20130822/tro13082212340005-n1.html
心よりご冥福を申し上げるとともに
大変悔やまれてなりません。
こちらが
元夫の音楽プロデューサー宇多田照実氏のコメントです。
以下、転記開始
<元夫宇多田照実氏コメント>
 「ご報告と謝辞」
 この度の故宇多田純子、投身自殺に於きましては、各方面の関係者の皆様、歌手藤圭子の大勢のファンの皆様、そして宇多田ヒカルのファンの皆様に多大なご心配と世間をお騒がせしていることに対して、所属事務所代表として、また25年間連れ添った元夫として心からお詫びを申し上げます。また、宇多田ヒカル並びに僕に対して沢山の心の籠った暖かいお言葉、お悔みをいただいたことに対しては、この場を借りて感謝の意を表明させていただきます。
 通夜、葬儀に関しては、故人の遺言書に書かれていた本人の強い意志に従い、執り行わないことにしました。
 出会った頃から彼女には感情の不安定さが見受けられましたが、心を病んでいるというよりも、類い稀な「気まぐれ」な人としか受け止めていませんでした。僕にとっては十分に対応出来る範囲と捉えていました。
 この感情の変化がより著しくなり始めたのは宇多田光が5歳くらいのことです。自分の母親、故竹山澄子氏、に対しても、攻撃的な発言や行動が見られるようになり、光と僕もいつの間にか彼女にとって攻撃の対象となっていきました。
 しかし、感情の変化が頻繁なので、数分後にはいつも、「ゴメン、また迷惑かけちゃったね。」と自分から反省する日々が長い間続きました。とても辛そうな時が多く見られるようなった際には、病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、このアドバイスは逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、本人が拒絶し続けた治療が成されないまま、彼女の苦しみは年を追うごとに重症化したものと思われます。
 直近の12年間は、好きな旅に思い立ったら出かけるという生活を送っていました。アメリカは一回の入国で最長5年間の滞在許可がもらえるビザを取得し、ニューヨークを拠点に、ヨーロッパ各国、米国各地、オーストラリアなどを気の向くまま、頻繁に旅していました。
 そのような環境の中、光と僕には昼夜を問わず、予期せぬ時間に電話連絡が入り、「元気?」という普通の会話が交わされる時もあれば心当たりのない理由で罵声を浴びせられる時もあり、相変わらず心の不安定さを感じさせられてとても気がかりでした。
 最後に僕が純子と会話をしたのは今年の8月14日でした。純子からでした。この時は珍しく明るい口調で、元気そうな純子の声でした。約8分間、世間話を含め、お願いごとを何件か受け、了承し電話を切りました。その8日後の自殺となってしまいました。
 純子として覚悟の上での投身自殺だったのか、衝動的に飛び降りてしまったのか、今となっては知りようがありません。最終的に僕から救いの手を差し伸べられなかった悔しさ、大切な人間を失った悲しさでいっぱいです。
 これまで宇多田純子を、藤圭子を愛情を持って見守ってくださった方々全員に、本人に代わり、心から感謝いたします。ありがとうございました。
 純子と過ごした日々は僕の記憶にはっきりと刻まれています。(原文のまま)
 [2013年8月27日7時28分 紙面から]
以上、転記終了
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130827-1179346.html
こちらが
娘、歌手の宇多田ヒカルさんのコメントです。
<宇多田ヒカルのコメント>
 「8月22日の朝」
 8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。
 様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。
 彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。
 幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
 母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
 誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
 母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
 沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。(原文のまま)
 [2013年8月27日7時27分 紙面から]
以上、転記終了
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130827-1179351.html
コメントからも
藤さんは長年精神的な病に苦しまれていたようで
彼女自身の苦悩、
そして、
ご主人の優しさ
娘ヒカルさんの心遣い
サポートしてきた家族の思いが手に取るようにわかります。
心よりお悔やみ申し上げます。
精神的な病の発症というのは
ご本人ももちろん
そして、何よりサポートする家族の負担も大きいです。
本当につらい、悲しい日々を送られてきたこと
そのことを思うと本当に大変だっとことと思います。
実は、
私の姉も長年精神的な病
いわゆる統合失調症を患い
現在に至ります。
紆余曲折
幸いにも
何度目かの自殺未遂後に
なんとか
私が医者への診察に
付き添うことができたので
今は服薬での処置や
施設での適切なリハビリをしているので
両親も家族もなんとか理解することができ
本人の語る上では
幸せな日々を送れているようです。
精神的な病というのは
なかなか表にたって
言いにくいことだし
本人もそして家族も
理解しにくい、認めにくい問題だと思います。
私の姉の場合は
両親もまた全く認めたがらないため
治療が遅れたこと
そして
本人の認知度の問題もありました。
姉が医師にかかるようになったのは
今から、12、3年くらい前のことです。
その症状が本当に病気なのか?
今では、インターネットなどで
症状から特定できますが
鬱や不眠などのことは何となく知っていて
世の中でもいろいろと
取り上げられることがありましたが
精神障害や統合失調症などという
専門的な病については
まだまだ、認知されにくい時代でした。
患者と家族のためのサポートなどの仕組みも
今ほど整っていなくて
まったくわからない状況ですから
姉のことを真剣に思いながらも
どうしてよいかわからない
何をすればよいかわからない
手の出しようがない
そして
両親同様に
姉が精神病患者だと
思いたくなかったのです。
受け入れることも
また
つけ放すこともできずにいて
どうしようもなく
もんもんと思い悩んだ日々がありました。
ただ、本人がなんとか生活ができるように
サポートできればいい
ことなかれ的な部分もあったと思います。
でも、
家族が一歩
勇気をもって進んでいくことで
どんな状況でも必ず変わっていくと思うのです。
病気の強い、弱いに関係なく
逃げずに向かい合ってください。
「手遅れ」はないのです。
藤さんとご家族のケースをみていると
藤さんの衝撃的な死によって大切な命を失うという
とても痛ましい最後となってしまいました。
亡くなられた藤さん自身を霊視してみると
「ごめんね」とただそれだけ繰り返しているようです。
真善美として
そして
精神病患者を家族に持つものとして
言わせてください。
誰かに謝ることは意味がないし
あなたは悪くない。
しかし、
しいていえば
悪いのはそれを乗り越えられなかった
あなた自身です。
だから
謝るよりも
自分自身のことも
家族のことも
みんなのことをすべて許してあげて下さい。
みんなも
あなたのことを許しています。
そして
私も含め
みんな本当に
あなたのことを愛していて
これからもずっと
あなたの幸せを祈っています。
病というのは
何かにつけて家族すべてを縛り付け
そして、
本当に大切なことに気づかせ
まとめ上げるすばらしい天からのギフトです。
命を絶つことでは
無念で
なにも救われず
さらに自分自身を追い詰めることになります。
それは
死後も同じなのです。
自殺なさる方
ほぼ皆様
この世に未練を残していらっしゃいます。
何よりも
残された家族には
故人のことを
永遠にわからない謎のままに
心に刻まれていきます。
さて
本題として・・・
家族に見るスピリチュアルなテーマとは何でしょうか?
それは
受け入れることではないでしょうか?
本人の
そのままに
病すらも受け入れてあげて
理解してあげることではないでしょうか?
これは本当に難しことだと思います。
でも
乗り越えるべきは
自分自身なのですから
ご家族皆様
ぜひ、頑張ってほしいことだと思います。
受け入れることで
すべてが変わる瞬間が必ず来ます。
さらに
母と娘というのは
ある意味、一心同体です。
絶対に離れられない硬い絆の上にあり
逆に言えば
逃れられない宿命のままに
カルマを負うような負の連鎖もありえます。
一歩間違えば
同じ過ちの上に人生に身を投じることもあるかもしれません。
逆に言えば
母を乗り越え
本来ある自分自身のままに
輝かしく人生を邁進していくこともあります。
きっと
それはすべて自分自身の選択に
ゆだねられていることです。
受け入れて
乗り越え
理解できたのち
すべての選択がやってきます。
その選択をどうするか?
すべては家族の愛の元にあると気づいてください。
先ほどの記事で
宇多田照実さんのコメントでもあったように
宇多田ヒカルさんが幼いころに
藤さんの病が悪化していったということもあって
そのことを思うと
栄光の裏に本当の悲劇と苦労があったこと
彼女の人生、苦悩やつらい日々に
思い悔やまずにいられません。
さらに追い打ちをかけるように
母の死を受け入れるには
まだまだ時間もかかるし
エネルギーも必要だと思います。
でも
きっと、それを乗り越えていけるために
この世に生まれてきたのだと思います。
親子として
母と娘として
本当の愛の形なのだと思います。
甘えられる時期に甘えられなかったという気持ちも
きっとあるかと思いますが
今、勇気を出して乗り越えてください。
そして
いつか受け入れられる時が来たら
なにもかもわかるときが来ると思います。
心からの応援と今後の活躍を祈っています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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