●十五夜(じゅうごや)とは・・・
お月見、名月、中秋の名月、芋名月とも呼ばれます。
中国では、唐の時代から中秋の名月を鑑賞する風習があったようです。
日本では平安時代の貴族の間に取り入れられ、次第に武士や町民に広まりました。
昔は、月の満ち欠けにより月日を知り、農事を行いました。
十五夜の満月の夜は祭儀の行われる大切な節目でもあったようです。
満月に見立てたお団子と魔除けの力があるといわれるすすきをお供えします。
(日本の行事・暦 より転記 )
●十五夜(じゅうごや)はいつ?
秋分は北半球では、太陽と月の角度により、
月の(地球から見た)位置が観月に最も適している。
秋分は旧暦では旧暦8月にあたる。
実際の新暦での日付は、秋分(9月23日ごろ)の前後半月の1か月の期間の中で変動する
(具体的には8月15日 (旧暦))。
しかし、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低い。
南米の日系人社会でも、日本と同様に十五夜の月を中秋の名月として観月する。
ただし、南半球では春であり、月の位置も観月に適してはいない。
十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、
必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。
その差は最大で2日である。
(ウィキペディアより転記)
●お月見の風習
・すすきや秋の七草を飾ります。
・団子15個と里芋など、秋の農作物や果物をお供えします。
・縁側や窓辺など、お月様の見えるところにお供えしましょう。
※すすきの本数など、決まりごとはありません。
秋の七草のどれかを添えたりして、自分スタイルのお花を飾ってください。
(日本の行事・暦 より転記)
●月見団子
形は、地方によって様々。全国的にはまん丸のものが一般的のようですが、
里芋を模した細長いものなど、いろいろな種類があります。
京都を中心にした関西は、細長いお団子の中央に餡を巻いて、
雲のかかった月を表現したお団子です。
(日本の行事・暦 より転記)
●各地の風習
・日本
中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、
平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、
舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、
水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。
また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。
現代では、月が見える場所などに、
薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。
この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、
十五夜の月を特に芋名月(いもめいげつ)と言う地方もある。
沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供える。
仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。
また戦前から昭和中期にかけて(ところにより今日でも)は、
各家に供えてある月見団子や栗、柿、枝豆、芋、菓子類を近所の子供達が、
そこの家人に見つからないように(見つけても見ない素振り)
捕って回りその年の収穫を皆で祈る(祝う)風習がある。(お月見泥棒)。
・韓国
韓国では旧暦8月15日を秋夕(チュソク)といい、その前日と翌日が公休日(祝日)となる。
このため、多くの企業、施設も休みとなり、帰省する者も多い。
先祖の墓参りをし、新米で「松片(ソンピョン)」という餅を作り、
祖先に感謝を捧げてお供えをする。
また知り合いに贈り物を贈り合う。
このため英語では、コリアン・サンクスギビングデーという。
・中国
十五夜の月を鑑賞する慣習は中国に由来する。
宋代随一の詩人、蘇軾(そしょく)は中秋の月を宝玉の皿にたとえた。
「暮雲収め尽くして清寒(せいかん)溢(あふ)れ 銀漢(ぎんかん)声無く玉盤(ぎょくばん)を転ず」。
中国では中秋節として盛大に祝う。中秋節は祝日となっている。
中国では当日、月餅を食べながら月を観る慣習があったが、
近年は月餅はひと月以上前から知人に配るようになったため、
中秋当日までに月餅は食べ飽きてしまい、
中秋当日には売れ残りを恐れて安売りされるという現象も起きている。
・香港
香港の公衆休日は旧暦八月十六日(中秋節の翌日)となっているが、
幾つかの学校や会社は8月15日の午後から休みとする。
人々は月餅を買う他、サトイモやスターフルーツやヒシを買ってお祝いをする。
近年の香港では様々な新式月餅が起こり、特に冰皮月餅(アイス月餅)が流行している。
夜には公園で市民がろうそくを灯し、灯籠を掛け、
大量の液化したロウに水をかけ、水蒸気と火炎が盛り上がるさまを楽しむ。
しかし安全のため香港政府は1990年代初頭より、厳しく取り締まっている。
香港の主要な公園には、大小の灯籠を飾り、気分を盛り上げる。
銅鑼湾の大坑では、ドラゴンダンスを3日続けて行う。
これは客家の習慣で、旧暦8月14日から16日の3日間続けて行い、
災いを消し貧乏から逃れることを願う。
また、年長者に長寿を、
年少者に豬仔餅を送る習慣がある地区がある。
・台湾
台湾では中秋節は重要な民俗行事であり、全台湾が休日となる。
月見をして月餅や文旦を食べる習慣がある。
地区的な文化としては、美濃区の客家のアヒルを殺して食べる習慣や、
宜蘭の小麦粉を練って中に黒糖を塗って焼いた「菜餅」を食べる習慣がある。
また、台湾南部ではおもちや火鍋を食べる風習もある。
1980年代中期から、当日屋外でバーベキューをするなどの別の楽しみ方が増えている。
その起源は諸説あるが、広告代理店の影響であるとか、
月見の最中に腹が減るからだと言われている。
この習慣は、この年代の経済発展と生活の西洋化が、
伝統的な民俗習俗にまで影響を及ぼしたと思われる。
・ベトナム
ベトナムでは、Cuiの伝説が起源となっている。
彼の妻はうっかり聖なるガジュマルの木に尿をして、木を冒涜してしまう。
そしてその木の枝に座った時、木は成長を始め、
とうとうCuiの妻を載せたまま月まで伸びてしまった。
毎年中秋節の間、子供たちは灯籠を灯して行列を作り、Cuiの妻に地上へ帰る道を教えている。
ベトナムの月餅は、無論丸いものもあるが、四角いものが多い。
ベトナム由来のCuiの妻の物語の他に、嫦娥や登竜門の伝説も広く語られる。
他の重要な行事は、中秋節の前や最中に行われる獅子舞である。
獅子舞は、アマチュアの子どもチームと訓練されたプロの両方によって踊られる。
獅子舞のグループは通りで踊り、家を訪れては踊ってもいいか尋ねる。
もし許可があれば、獅子が家の中に入って踊り、家のために幸運を祈る。
家主は感謝を込めて、ご祝儀の金銭を渡す。
中国と同じく、中秋節には月餅を食べる習慣がある。
ベトナムでは他の地域と違い、中秋節は子供の為の祭りと見なされている。
古来ベトナムでは子供は純粋で無邪気なため、聖なる自然の世界と近いとされていた。
子供達の近くに居ることは精霊や神とつながる道とされた。
当日の晩、獅子舞の獅子を子供に買い与え、子どもは友達とそれで遊ぶ。
また子供たちは、鯉の灯籠を持って遊びに出かけるが、これは登竜門の故事にちなんでいる。
(ウィキペディアより転記)
●月待ち
天候次第で月を見られない場合もあるので
地方によっては月待ちという風習があり、
十七夜以降を立待月(たちまちづき)、
居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、
更待月(ふけまちづき)、という。
二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、
二十六夜待ちまで行う地域があり、
月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる、
という口実を付けて月が昇る(深夜2時頃)まで遊興に耽った。
この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。
(ウィキペディアより転記)
●九月十三夜
八月十五夜の月に対して「後(のち)の月」と呼ばれる。
(※2014年は10/6になります)
十三夜は日本独自の風習と言われている。
ちょうど食べ頃の大豆や栗などを供えることから、
この夜の月を豆名月(まめめいげつ)または栗名月(くりめいげつ)と呼ぶ。
江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、
どちらか片方の月見しかしない客は
「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われた。
二度目の通いを確実に行なうために、
十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。
(ウィキペディアより転記)
●十月十夜
旧暦10月10日の月は「十日夜の月」とよばれ、
「中秋の名月」と「後の月」に対しては「三の月」ともいい、
この夜にみる月がその年の収獲の終わりを告げるとされた。
(ウィキペディアより転記)
●月見の名所
松島(宮城県宮城郡松島町)
九段坂(東京都千代田区)
信州姨捨(長野県千曲市)
伊賀上野城(三重県伊賀上野)
玄宮園(滋賀県彦根市)
大覚寺大沢池(京都府京都市)
渡月橋(京都府京都市嵐山)
姫路城(兵庫県姫路市)
岩国城と吉香公園(山口県岩国市)
満願寺(島根県松江市)
桂浜(高知県高知市)
(ウィキペディアより転記)
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