今年2010年
4月4日〜30日までの期間に
モニター限定として
遠隔伝授させていただきました
「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)さまの桜花(おうか)ヒーリング」の
ご奉納も兼ねて
2010年4月5日に
浅間神社へ行って参りました!
こちらにご報告させていただきます^^


おりしも雨・・・龍神さまにも導かれていると確信し、長い参道を歩きます。



角行の立行石
どうやらここの上に立って「角行」が行をしたという伝説があるようです。
まさに石の上にも三年!


清めの川が流れそこを小さな橋が架かっていて
なんとも風情漂う景色。
渡った先にも大きな鳥居があります^^


浅間神社内のお稲荷さんも立派ですねー^^


大きな門を潜り抜けます♪



拝殿に到着です^^
色彩豊かでその歴史と格式の深さを感じます。



富士太郎杉という大きな杉の木が・・・
奥には次郎杉というきもあるそうです。


この日も多くの方がご参拝とご祈祷されていました!
拝殿の置くには本殿をおく「浅間造り」という形式
本殿も豪華絢爛でその時代の武将の参拝が目に浮かぶようです・・・。
祭られている神様は
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
天孫彦火瓊々杵尊(てんそんひこほのににぎのみこと)
大山祗神(おおやまずみのかみ)
創建は
西暦110年、武勇伝で有名なヤマトタケルノミコトが東方へ遠征の際にこの地に立ち寄り、
「富士には北側より登拝するのが良い」として、祠と鳥居を建てたのが始まりとされています。
その後、788年(奈良時代)には甲斐守紀豊庭(かいのかみきのとよひろ)が
占いによって現在の場所に神殿を建てて浅間の大神を祭りました。
時代は下り、江戸時代になると富士山を崇拝、参詣する「富士講」というものが生まれ、
中でも村上派の村上光清が現在ある建物の大部分を寄進しました。
この地から諏訪に抜ける
龍脈のエネルギーを感じ
とても体が熱くなりましたー!


実は、火の神として有名な「木花開耶姫命」
もちろん、お供の”天狗たち”も祀られております^^
そして
”吉田の火祭り”は富士山の山仕舞いを告げる
「北口本宮富士浅間神社」と、境内の「諏訪神社」のお祭りなのです。
町中で何本もの大松明を燃やす火祭りですが、
今まで火事になったことはありません。
これは浅間神社の祭神「木花開耶姫命」が猛火の中で皇子を出産したという故事があり、
そのご神徳のおかげだとされています。



本殿の裏へ周ってみると
向かって左側に
神武天皇社と東宮があります



本殿の真裏に富士ゑびすが祀られています。
富士山に向いているのでこの名があるそう。
鯛を抱えているえびす様は、日光東照宮の彫刻で有名な左 甚五郎 の作と伝えられている。
やっぱり「大国主命」に関係しているということは
諏訪大社も浅間神社も出雲に関係しているということなのです♪
このあたりの説明は後ほどー


本殿向かって右には西宮が・・・


富士登山道吉田口には大きな鳥居と祖霊社が・・・
近世富士信仰の元となった長谷川角行(かくぎょう)、
村上光清、角行とその教えをさらに深め大衆化して富士講隆昌のもとをつくった
食行身禄(じきぎょうみろく)の三人を祭ってあります。
きっと登山でお亡くなりになられた方も一緒に
お祀りされているのでしょうか。
登山の無事と富士の自然がいつまでも豊かでありますように・・・


ずらっと九社の末社が


ご神木の下には祠が・・・
浅間神社横の諏訪大社についての記事は
続きをご覧ください^^




境内にある「高天原」という場所
とても気持ちのいいエネルギーが流れていました!


大きな杉の奥には
「諏訪神社」が・・・



突き抜ける龍神さまのエネルギーを感じました!
諏訪神社は実は龍神系のエネルギーでもあります。
拝殿の横には火祭りで使われる「お神輿」が安置されていました。





拝殿の上には白い白龍の彫物が・・・・
ここにいたとき
子供の龍ちゃんがいて一緒に遊んでみましたよ^^v
諏訪神社といえど
ここのエネルギーは
箱根の九頭龍神社の龍ちゃんと近い気がします☆


下諏訪社と子安社
これってつまりは子宝祈願の社であるのねー^^


まだまだ桜は三分咲き・・・?でした